大阪地方裁判所 平成8年(ワ)7307号 判決 1998年3月19日
原告
宮本篤士こと李日範
被告
株式会社渡辺商店
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する平成二年一一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、卸売市場内の通路を歩行横断中小型特殊自動車に衝突され負傷した事故に関し、右車両の所有者である被告に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づいて、損害の賠償(一部)を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 三好洋(以下「三好」という。)は、平成二年一一月二四日午前八時二〇分ころ、小型特殊自動車(大阪市福か八一五五、以下「被告車両」という。)を運転して大阪市福島区野田一丁目一番八六号大阪市中央卸売市場内通路(以下「本件事故現場」という。)を走行中、同所を歩行横断中であった原告に被告車両を衝突させた(以下「本件事故」という。)。
2 被告は、本件事故当時、被告車両を所有して自己のために運行の用に供していた。
3 原告は、本件事故により、腰部、骨盤部、右大腿部挫傷、腰椎捻挫、頭部打撲の傷害を受けた。
4 原告は、自動車保険料率算定会調査事務所により、自賠法施行令二条別表障害別等級表(以下「等級表」という。)一四級一〇号に該当する後遺障害が存するとの認定を受けた。
二 争点
1 原告の傷害の内容及び程度
(原告の主張)
原告は、現在も腰部から右下肢にかけての強い痛みやしびれ等に悩まされ、杖がなければ歩行困難なほどとなっており、少なくとも等級表七級四号程度の神経症状を残している。また、原告は、頭部打撲等のため本件事故直後より耳鳴りや神経性難聴に悩まされ、等級表六級三号程度の聴力障害を残している。右の各後遺障害を併せれば、原告は等級表四級相当の後遺障害を残しているものというべきである。
(被告の主張)
原告の神経性難聴は当初右耳に関するものだけであったのに、本件事故からかなりの期間を経過した後に両耳の感音性難聴を主張するようになったもので、本件事故を原因とするものとは考えられず、しかも、原告には一定の聴力があると考えられることから、その発生原因はともかく、詐病の可能性も払拭しきれないものである。また、原告に等級表一四級一〇号を超える後遺障害が存するものとは認められない。
2 消滅時効
(被告の主張)
原告の症状は平成三年一一月二四日には固定しており、仮にそうでないとしても、遅くとも平成五年三月末には固定しているところ、右から本件訴えの提起された平成八年七月一六日までには三年が経過しており、原告の被告に対する損害賠償請求権は時効により消滅しているから、被告は右時効を援用する。
(原告の主張)
原告の症状固定は平成七年七月末であり、聴力障害については同年九月一一日であるから、右から三年が経過する前に本件訴えが提起されたものである以上、原告の被告に対する損害賠償請求権はいまだ時効によっては消滅していない。また、被告は、平成五年一二月二七日には被告の原告に対する損害賠償請求権が存することを認めており、右時点で債務を承認したものであるから、この点でも右損害賠償請求権は時効によっては消滅していない。
(被告の反論)
被告は、原告に対し、平成五年一二月二七日付で損害計算書を提示したが、右は被告において円満解決を試みて損害計算を試みたもので、なんら確定的な債務承認ではなく、右をもって債務の承認であるとする原告の主張は失当である。
3 原告の損害
(原告の主張)
原告は、本件事故により次のとおりの損害を受けた。
(一) 入院雑費 四万六八〇〇円
(二) 通院交通費 五二万一七四〇円
(三) 休業損害 八一七万八九〇〇円
(四) 逸失利益 一八四〇万七〇九四円
(五) 入通院慰藉料 二一五万円
(六) 後遺障害慰藉料 一三五〇万円
(七) 弁護士費用 三五〇万円
4 過失相殺
(被告の主張)
原告は、運搬用の手押し車を押して、駐停車車両の間から飛び出して本件事故現場を横断しようとしたものであり、明らかに前方不注視が認められる。一方、三好は、時速約一五キロメートルで被告車両を運転していたにすぎないから、本件事故における原告の過失は三割を下らないものというべきである。
(原告の主張)
原告は、駐車車両の運転手から大丈夫だから横断するようにとの合図を受け横断を始めたこと、被告車両は中央線をはみ出して相当速度で逆行してきたものであること、本件事故現場は卸売市場内の道路で、頻繁に人間が横断するところであること等を考えれば、本件事故の発生に原告に過失があるということはできない。
第三当裁判所の判断
一 争点1、2について
1 甲第一号証の一ないし六、第二号証の一、二、第三号証の一ないし三、第四ないし第六号証、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証の一、二、第一二号証の一、二、第一三、第一四号証、乙第一ないし第三号証、第八号証及び証人仙波治の証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 原告は、昭和四年九月一五日生まれの男性で、本件事故当時、有限会社生野商店に勤務し、就労中に本件事故に遭った。
(二) 原告は、本件事故後、救急車で医療法人手島会手島病院(以下「手島病院」という。)に搬送され、腰部骨盤部挫傷、腰椎捻挫、右大腿挫傷、頭部打撲の傷病名で平成二年一一月二四日から同年一二月二九日まで同病院に入院し、同月三〇日から平成五年三月三一日まで同病院に通院した。
原告は、手島病院では、投薬、注射処置、理学療法により保存的治療を受けたが、平成五年三月三一日、リハビリ及び消炎鎮痛剤の注射及び内服薬、外用薬投与にて腰痛、下肢痛の経過観察するも、歩行困難、下肢のしびれ、荷物が持てない等の訴えがあり、これ以上の加療効果を望めないとして、手島病院での加療を中止とされた。なお、被告訴訟代理人は、平成五年三月二六日手島病院の院長に面談して事情を聴取した際、同院長から「原告の治療経過からみてかなり以前より症状固定の状態であるが、原告から労災を打ち切らずに交通事故だけを症状固定にしてもらえないかと執拗に言われ、同一人に対し労災と交通事故とで症状固定時期を別異の扱いをすることはできないとしてこれを断るということの繰り返しである。」との説明を受けた。
(三) 原告は、症状が軽快しないとして転医を希望し、平成五年四月二日から平成七年七月三一日まで外傷性頸部症候群、腰痛の傷病名で医療法人貴和会生野中央病院(以下「生野中央病院」という。)に通院した。
原告は、生野中央病院では、当初からホットパック、頸椎牽引による治療を受け、平成五年五月八日には、医師から手術適応はなくリハビリ中心の治療を行うとの説明を受け、同年八月一一日からは原告の希望で腰椎牽引も受けるようになった。その後、原告は、同年九月には頸部痛、後頭部痛を訴え、平成六年三月二八日には腰痛を、同年一一月一〇日には右踵から臀部までの神経痛を訴え、平成七年一月二〇日には頸部痛、腰痛は変わらず、同年六月五日には頸部痛、腰痛変わらず、右股関節、右足首の痛みがあると訴える等の経過を経て、同年七月三一日に症状固定の診断を受けた。原告は、同病院では、レントゲン上、腰椎には軽度の変形性関節症の変化が、頸椎には、第三、第四頸椎間、第四、第五頸椎間、第五、第六頸椎間に高度の変形性関節症が認められるとされた。
なお、原告は、その後、平成八年二月二七日のMRIの結果では、第三、第四間頸椎間、第四、第五頸椎間、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間、第三、第四腰椎間、第四、第五腰椎間に脊柱管の狭窄を認められ、また、同年七月二五日、大阪市立心身障害者リハビリテーションセンターで、MRIにて第三、第四頸椎間、第四、第五頸椎間、第五、第六頚椎間、第六、第七頸椎間、第三、第四腰椎間、第四、第五腰椎間に著明な脊椎管狭窄症が認められ、本件事故をきっかけに症状が悪化したが、もともと脊椎管狭窄症があったため症状の改善なく現在に至っているとの診断を受けた。
(四) 一方、原告は、本件事故の翌日から右耳鳴、難聴があると訴え、手島病院の紹介で平成二年一二月三日大阪厚生年金病院(以下「厚生年金病院」という。)を受診し、以後平成七年九月一一日まで右神経性難聴、耳鳴症の傷病名で同病院に通院した。
原告は、同病院では頭蓋骨レントゲン、脳CTスキャンでは損傷なしとされたが、その後症状は次第に増悪し、平成四年六月二四日までは同病院に定期的に通院して聴力検査を受けた。この間のオージオグラムによる原告の聴力レベル(六分法)は、平成二年一二月四日には右六五dB、左三五dB、平成三年一月三〇日には右七〇dB、左三〇dB、平成四年六月二四日には右一〇〇dB、左三〇dBとの結果であった。原告は、平成四年六月二四日には右耳に聴力損失二〇dB以上を伴う耳鳴があるとされたが、症状はほぼ一定したものとして、同日症状固定の診断を受けた。
(五) 原告は、平成四年六月二四に厚生年金病院を受診した後は平成五年五月三一日まで同病院を受診しなかったが、同日同病院を受診した際、平成四年六、七月ころから左耳鳴、難聴が進行してきたと訴え、原告の聴力レベル(六分法)は、平成六年一月一二日には右九五dB、左八五dB、平成七年九月一一日には右一一〇dB、左八五dBとの結果であった。また、原告は、平成八年八月一二日、大阪市立心身障害者リハビリテーションセンターで、聴力レベル(四分法)が右一〇五dB以上、左七一・三dBで、両感音性難聴と診断された。原告は、その後、生野中央病院では、聴力レベル(六分法)は、平成八年九月一四日には右スケールアウト、左九五・八dB、同月二六日には右スケールアウト、左九五・〇dB、同年一〇月一五日には右スケールアウト、左九八・三dBとの結果であり、平成八年一〇月八日同病院で左右感音性難聴とされ、症状固定の診断を受けた。
(六) 厚生年金病院の原告の主治医である仙波治医師(以下「仙波医師」という。)は、原告に純音聴力検査を実施した結果高度難聴との結果であったものの、日常会話は可能であり、聴力検査の結果と会話能力とが明らかに合致せず、また、ABR検査の際検査に非協力的であったため、正確な聴力域値は得られなかったが、客観的に見て少なくとも左右とも八六dBでは聴こえていると考えられ、ABR検査によると真に高度難聴とはいえず、医学的に詐病と判定可能と考えるとの意見を述べている。また、同医師は、原告の右神経性難聴、耳鳴症は本件事故と関係のあるものと推定されるが、左耳についての愁訴は、本件事故から大分たってからのもので本件事故との因果関係が不明であるとの意見を述べている。
2 右によると、原告の手島病院における傷病名である腰部骨盤部挫傷、腰椎捻挫、右大腿挫傷、頭部打撲の各症状は、遅くとも手島病院での治療が中止となった平成五年三月三一日には症状が固定していたものと認められる。この点、生野中央病院では、原告の症状固定は平成七年七月三一日とされているものの、同病院では原告の愁訴に応じてリハビリを行ったにとどまり、平成七年七月三一日までの間、原告の症状に大きな変化はなく、同病院でも、原告の症状は原告にもともとあった脊椎管狭窄症が本件事故をきっかけに悪化したもので、脊椎管狭窄症のために症状の改善が得られずに推移したものと認めており、同日まで原告の右症状が固定していなかったとするのは相当ではないというべきである。
また、原告は、厚生年金病院において右神経性難聴、右耳鳴症で平成四年六月二四日に症状固定の診断を受けているところ、その後、原告の右難聴はより高度となり、また、左難聴、耳鳴が生じるなど、原告の症状が悪化し、右の時点ではなお症状は固定していないともみえるものの、仙波医師が、原告は少なくとも左右とも八六dBでは聴こえていると考えられるとし、また、左耳の症状については本件事故との因果関係は不明であるとしていることに照らすと、右以降に原告の症状がより悪化し、しかもそれが本件事故と相当因果関係のあるものであるとは認められないというべきであり、平成四年六月二四日における症状固定の診断を覆すには至らないというべきである。
そうすると、本件事故による原告の右神経性難聴、右耳鳴症の症状は平成四年六月二四日に、また、腰部骨盤部挫傷、腰椎捻挫、右大腿挫傷、頭部打撲の各症状は平成五年三月三一日に、それぞれ固定していたものと認められるところ、本件訴えの提起が平成八年七月一六日であることは記録上明らかであるから、右訴えの提起は、本件事故時を基準とすればもとより、原告の症状固定時を基準としても既に三年を経過した後にされたものであるから、原告の被告に対する本件事故に基づく損害賠償請求権は、既に時効により消滅しているものというべきである。
なお、原告は、被告は、平成五年一二月二七日に被告の原告に対する損害賠償請求権が存することを認めており、右時点で債務を承認したものであると主張する。この点、甲第六号証によれば、被告訴訟代理人は、原告に対し、平成五年一二月二七日付の書面により、被告側で計算した損害額から既払額を控除した残額三七万八二一〇円を支払う旨の申し入れをしたことが認められるが、甲第六号証によれば、原告が厚生年金病院で負担した治療費については被告がこれを支払うことを約束したものの、その余の損害については、被告は、原告の主張に多くの疑問を持ちながらも、円満解決のため右の支払を提案したにすぎないことも認められ、右によっては、被告が、右の時点で原告の被告に対する損害賠償請求権が存することを承認したものとはいえないというべきである。
二 結論
以上によると、被告の原告に対する損害賠償請求権は既に時効により消滅しているものというべきであるから、その余の争点について判断するまでもなく原告の請求は理由がないというべきである。
よって、原告の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 濱口浩)